社長メッセージ
保険を通じて一生涯のベストパートナー
になりたい——。
そんな想いから「ベストパートナー」は生まれました。
お客様、保険会社、弊社の社員と、それぞれが満足できる“ハッピートライアングル”を信念に、グッドでもベターでもない、ベストなパートナーとなれるよう日々業務に携わっております。
2022年にはベストパートナーは創立20周年を迎えました。
20年間、変わらず大切にしていることは、常にお客様の将来を見据え、不安を取り除き、お客様の気持ちに寄り添うことです。そのために“聞く力”を意識し、“保険代理業=相談業”という気持ちで業務に携わるようにしております。
この想いは私の過去の経験から生まれたもので、「保険代理業は相談業なのだ」という想いに辿り着くまでの経緯として、私自身の生い立ちをお伝えさせていただきたいと思います。
学生時代の体験から学んだ
“聞くのは8割。話すのは2割”
という営業理論
私は、自衛官の父、看護師の母のもと、神奈川県横須賀市に生まれました。子どもの頃は駐屯地で暮らしていまして、水泳やソフトボール、剣道、習字、そろばんなどの習い事に明け暮れながらも、友達と外で元気に遊ぶような子どもでした。
官舎を出た小学6年生の頃に「キャプテン翼」という漫画が人気だったこともあり、中学、高校はサッカーに熱中しました。今思い返すと団体スポーツばかりしていましたので、 人と一緒に物事を達成する喜びをスポーツを通じて自然と学んでいたのだと思います。
その後、大学時代はバブル絶頂期で、夏はテニス、冬はスキーを楽しむサークルに入り、学生起業家のような活動もしていました。スポンサーを集めてディスコでイベントも開催していましたが、当時はパワポ(パワーポイント)のようなプレゼンテーション用のソフトウェアもない時代ですし、名刺もない状態で企業にアポをとり、大企業の広告宣伝の方と繋がりを持つということをしていました。
その時に学んだのが、“自分を受け入れてもらいたければ、まずは相手の話を聞く“ということでした。
その“聞くのは8割。話すのは2割”という営業理論は、弊社の社員も心掛けていることです。
というのも、保険の説明に一生懸命になってしまうと、お客様のことを知ることができないからです。そのことに気付けたのも大学時代の経験があったからこそ。若い頃の体験の全てが今に繋がっていると言えます。
大学卒業後はアルミサッシで知られる建材メーカー・不二サッシに就職し、倉庫が併設されている千葉の営業所に配属されました。自分の中では都心にある大きなビルに勤務するイメージだったのですが、実際は昼休みに先輩のおじさまたちとキャッチボールをするような(笑)、想像とは全く違う日々を送っていました。
そんな営業所でしたが、当時、不二サッシの中で日本一の営業マンが同じ部署におりまして、その先輩の栄転を機に、私がその方の業務を引き継ぐことになました。日本一の営業マンのあとを継ぐとなるとプレッシャーもありましたが、周りの方の支えもあり、私自身も不二サッシの中で売上達成率トップを獲るまでに成長しました。
同じ志を持った仲間との出会い
そんな中、どうやって今の仕事に辿り着いたのかと言いますと、遠い親戚が公認会計士をしていたのが大きかったと思います。
彼の息子さんが私の幼なじみで、税理士を志していたんですね。
その影響で私も同じく税理士を目指していたのですが、なかなか上手くいかず、ある時、“自分の良さは何だろう?”と思い返してみたのです。 すると、営業力には自信がありましたし、人と接することも大好きでしたので、自分の良さを生かせる商売は、やはりモノやサービスを売る営業だということに気が付きました。
そこで、不二サッシを退社し、税理士になる道も断念。5年後には代理店として独立できる「AIU保険会社」でIS社員(Independent Solicitor=独立した営業社員)になり、独立への準備をはじめました。
私が所属していた横浜のオフィスは“できる人を称賛する”という独自の教えがありまして、仲間を蹴落とすのではなく這い上がって行き、みんなで学び合うといった雰囲気が私にとても合っていました。
その後、IS社員として保険業の営業を学び、27歳で晴れて独立したのですが、先に独立されていた先輩方からは、事務処理や社員教育などが大変で、営業以外のところに時間をとられてしまうというお話をよく聞いていました。
ですので、いきなりひとりで会社をはじめるのではなく、「MEGAオフィス」という集合オフィスを仲間と一緒に作ったのです。IS社員として勤務していた5年間が大学のイメージだとすると、MEGAオフィスは大学院のようなイメージですね。
そこで一緒になったメンバーの中には、現在も弊社で活躍している者もいます。
社会に出たあと、自分と同じ志を持った仲間に出会えるとは思ってもみませんでしたので、その時の出会いは、とても大きかったですね。
“全員守備。全員攻撃”
というスポーツ精神で邁進
そういった経験を経て32歳で「ベストパートナー」を設立し、最初の1年は“1年分の家賃をとにかく稼ごう!”という気持ちでガムシャラに働きました。
わざわざ高い家賃を払ってこの場所(横浜ランドマークタワー内)にオフィスを構えなくても…、とおっしゃる方も中にはいらっしゃいましたが、こちらにオフィスを構えることで、お客様に対しても安心材料になると思ったのです。
その後は、バスケなどのチームスポーツをイメージしながら、“全員守備。全員攻撃”という精神で前のめりに業務を進めて行き、2022年にはおかげさまで20周年を迎えることができました。
そ横浜のほかに現在は沖縄本店もございまして、そちらはもう少しローカルな、親しみやすい雰囲気のオフィスになっています。
都会に住む人からしますと沖縄は特別な場所という方も多くいらっしゃいますし、逆に沖縄のお客様が上京した際には横浜の街をご案内できます。
沖縄にも拠点があることで良い効果が生まれ、今は“ふたつの街の橋渡しができれば”という想いでおります。
子どもたちに恥じないような
人生を歩みたい
私の座右の名は“誠意と熱意”。
そして、大好きな韓国ドラマ「梨泰院クラス」のテーマでもあった “人と信頼”です。中でも「お金より人。利益より信頼」というセリフが私の心に強く刺さりました。
家族や社員のためにお金を稼ぐことはもちろんですが、それ以上に善悪をきちんと判断し、子どもたちに恥じないような人生を歩みたいと思っています。
ですので、誰も見ていないところでしっかり仕事ができる人間が、自分の中では信頼できる人なのです。
私がいなければ仕事が回らなかったり、私がいるから会社がピリッとするのではなく、どんな時も誠意を持って仕事に携わってほしい、そういった気持ちがスタッフに対してあります。
実際、弊社には誠意と熱意のある人材が揃っておりますので、お客様には安心してご利用いただけると思います。
そして、冒頭で、お客様、保険会社、弊社の社員のそれぞれが満足できる“ハッピートライアングル”についてお伝えしましたが、人生100年時代と言われる今、長く働ける場所を社員に提供することも大切にしています。
弊社には家族の介護をしながら在宅勤務をしている者もおりますし、産休、育休を利用している者もおります。
そういったスタッフがまた戻って来たいと思えるような会社にしていくことで、各々が業務への意欲を高め、それがお客様へのより良いサービスに繋がっていく。その循環を生み出すのも私の役目だと思っております。
自分の過去を振り返ってみますと、人に助けられ、支えていただくばかりの人生でした。そのおかげで今の「ベストパートナー」がありますので、お客様を含め、周りにいる方たちへ恩返しをする気持ちで、これからも業務に励んでまいりたいと思います。
プロフィール
1970年生まれ。神奈川県横須賀市出身。
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- ゴルフ。愛犬と過ごすこと
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- 誠意と熱意。人と信頼
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- 故・星野仙一監督